いろんな問題についての考え方は、
全ての人間が同じ考え方になることはありません。
全ての男性が同じ考え方になることはありません。
全ての女性が同じ考え方になることはありません。
そういう前提で、色んな場面での、《平均値》をイメージしなければ議論が進みませんので、そこら辺はご理解をお願いいたします。
例えば、“セクハラ”。
1,オトコからオンナへのセクハラと、
2,オンナからオトコへのセクハラ。
場合によっては、
3,オトコからオトコへのセクハラ、
4,オンナからオンナへのセクハラも
在るそうです。
全て、セクハラには違いありませんし、全てが重大な問題だと思います。
しかし、
1,の方が、圧倒的に数が多く、
悪質だと、私は認識しています。
ですから、
“セクハラ”といえば、
ほとんどの場合、
1,オトコからオンナへのセクハラを意味します。
という具合です。
【それと】
よく、【性差別問題】を論じるときに、【男女平等】と矛盾するという議論が出てきます。
こちらの記事が参考になると思います。
竹田恒泰 「田嶋陽子に“あんたが早く結婚しなさいよ”と言われたが男性蔑視だと話題にもならなかった
まずは、場面設定がはっきりわかりませんが、田嶋陽子氏が、本当に“あんたが早く結婚しなさいよ”と言ったのであれば、(ひろし)的には、【性差別】発言になる可能性はあると思います。
しかし、その件は、今回は触れないことにします。
テーマが散逸になりますから。
【本題】
よく学校などで、特に中学校以上では、
健康診断は、おそらく男女別々に行っていると思います。
体育の更衣、体育の授業、保健の授業は別々に行っていると思います。
オリンピック・スポーツの競技も、ほとんどが、男女別々で行っています。
国語や数学・英語などの教科は、一緒なのに、
何で!!、保健や体育は別なのか?
【男女平等】をいうなら、
ぜ~~~~んぶ、同じにすればいいじゃないか・・・
オリンピックだって、サッカーだって、
同じにすればいいじゃないか・・・
そういうご意見も、ときどき見受けられます。
しかし、一部のご意見を除いては、今のところ、「一緒にしろ」という議論にはなっていないと思います。
なぜ、【男女平等】なのに、【男女別々】なのか?
まずは、この点を整理しながら、議論を進めていくしかないと思います。
(つづく)
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